瑩山禅師以降の總持寺とその伽藍~瑩山禅師の御生涯と大本山總持寺4




大本山總持寺は神奈川県横浜市鶴見に位置し、日本の表玄関である京浜の丘に雄大な大伽藍を構えています。
瑩山禅師が54歳のとき、能登の諸嶽寺住職 定賢律師が霊夢を見て、律院から禅寺へ変え、瑩山禅師を請して1321年に開堂説法が行われました。
そのとき寺名を諸嶽山總持寺と名付けられましたが、1324年には總持寺を峨山紹碩禅師に譲って永光寺に戻られました。

二世を拝命した峨山禅師は1365年に91歳で亡くなられるまで42年もの間總持寺を守って法を広めましたが、門下には25名、法を継いだ僧侶を輩出されました。
中でも大源宗真禅師、通幻寂霊禅師、無端祖環、大徹宗令禅師、実峰良秀禅師の五哲とよばれる名僧達は、總持寺の庭に普蔵院・妙高庵・洞川庵・伝法庵・如意庵の五院をそれぞれ建立し、本山輪番住持制(輪住制)という制度の基を築きました。
これはこの五つの寺の中から、順番に交替で總持寺の住職を務めるという制度で、永くこの輪住制が後世に続くこととなりました。

明治三年に諸政の改革と共に輪住制度は廃止され、政府の官裁によって栴崖奕堂(せんがいえきどう)禅師が独住第一世となりました。
明治三十一年には大火により伽藍のほとんどを消失し、明治三十八年に禅師位に就かれた石川素童禅師が時勢を鑑みて明治四十年に官許を得、總持寺を石川県から神奈川県横浜の鶴見に移転、明治四十四年に落慶遷仏法要が行われました。

その後60余年の間、昭和40年には1023坪もの広大な本堂である大祖堂が、また昭和44年には三門(山門)が完成し、昭和61年には檀信徒の研修道場である三松閣が完成し、今日の大伽藍が整うまでになりました。
現在は独住二十三世大道晃仙禅師が住職をつとめられております。


總持寺の七堂伽藍は地形と防火の関係等から、永平寺の伝統的七堂伽藍様式とは少し異なった配置となっています。

○仏殿(ぶつでん)
入母屋造り、二重屋根の大殿で、総檜づくり、大正4年竣工。本尊である釈迦牟尼仏、脇尊として迦葉尊者・阿難尊者を奉っています。須弥壇正面上には大正天皇御下賜の「常済」の額が掲げられています。

○大祖堂
一般で言う本堂のことで、昭和40年完成。鉄骨鉄筋だてで、総床面積1023坪、千畳敷の広さを誇ります。ここで毎朝の法要や説法などが行われています。
奥には「伝灯院」という道元禅師・瑩山禅師・峨山紹碩禅師・五院開基の御尊像及び独住歴代禅師の御位牌が奉安されています。

○その他の七堂伽藍
三門(山門)、僧堂、庫院(香積台こうしゃくだい)、浴室、東司など、それぞれ禅宗寺院の重要な役割を担っています。

 

↑ 道元禅師と大本山永平寺

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