典座の任は、修行僧達の食事を預かる、非常に重要な役割である。もし、向上心を持たぬ者がその深い意味を理解せずに務めたとしてもそれはただ辛いだけで徒労に終わるであろう。(『典座教訓』冒頭の句)
優れた師に巡り会うことができずに仏道を進んでも、たとえ宝の山に迷い込んでも、どれが宝かわからずに手ぶらで帰るようなもので、なかなか良い修行はできない。なんと憐れむべき、悲しいことであろうか。良い師のもとで修行を積むことが大事なのである。
常に精進の心を持って調理技術を研鑽し、時節に応じて献立や調理法を工夫して、雲水たちが安心して修行に打ち込めるような食事を作らなくてはならない。(リンゴの白酢和え)
精進料理では、「苦み、酢み、甘み、辛み、塩け」の五つの味を基本とするが、六つめの味である「淡味(たんみ)」をその極意とする。「淡味」とは、食材の持ち味を損なうことなく、野菜本来の味を引き出す調理法である。この六つの味付けをふまえ、 「煮る、焼く、 蒸す、揚げる、生」の五つの調理法を用いて、「赤、白、黄、青、黒」の五色の食材を組み合わせて献立を立てれば申し分ない。
加えて、「軽軟(きょうなん)」(適度に調理されて食べやすい」 「浄潔(じょうけつ)」(清潔でシンプルである) 「如法作(にょほうさ)」(作法や基本に基づいて作られている)の三徳が備わっていなければ典座が仏に捧げる料理としては失格である。
(大根のうま煮をホタテに見立てたチンゲン菜の中華炒め)
たとえ粗末な材料しかなくても、嫌がったり、軽んじたりしてはならない。 また、もし高級な食材を調 理する時でも、みだりに浮かれ舞い上がってはならない。不充分な食材に対しても少しも手を抜かず、上等な材料を用いるときは更に気を引き締めて調理にあた りなさい。(雲水の常食である玄米のお粥)
高きところに置くべき物は高きところに。低きところに置くべき物は低きところに。全ての道具をきちんと整頓し、真心をもって丁寧に道具を扱いなさい。自分の目玉と同じくらいに備品を大切にするのである。
仏さまに供えられた食材を調理する際は、それが粗末だとか高級だとかいう点に関わらず、等しく真心と敬いの心を持つことが第一である。
粗末な食材を用いる時には、清らかで誠実な真心をめぐらせて高級な食材に劣らぬ味を引き出すよう精進すべし。(ごぼうの落花生和合)
かつて同じ道を求めて精進した先輩達が、仮に三銭分の食材を用いたとき粗末な料理しか作れなかったと しても、今同じ三銭で素晴らしい料理を作るように工夫するのである。これは非常に難しいことである。なぜなら、私たちは過去の優れた先輩達に比べて遙かに 努力が足りないからである。
しかし、精進の心をもって自らを奮い立たせ、 まごころを込めて丁寧に調理すれば、きっと偉大な先輩達に追いつくことができるであろう。(水菜の信田巻)