『典座教訓』にはどんなことが書かれているのでしょうか。私見ですが、その内容を三つに分けると理解しやすいように思います。

最も文字数をかけて示されているのは、典座が行うべき具体的な職務内容、その理念、修行道場の台所の一日の流れや注意点などです。

次に、道元禅師の宋での修行中のご体験、お釈迦様や歴代祖師などの故事や教えを引用しながら、目指すべき指標と、わが国の至らぬ現状指摘等が説かれています。

そして最後の部分で、料理にかかわらず、何に取り組む時でも常にわすれてはならない三つの心構え、すなわち「三心(さんしん)」が説かれています。

その中で特に大事な部分を抜き出して紹介します。

○食材に対する敬意を持つ

とても重要な部分です。典座の修行では、食材の尊い命をいただいて調理するという自覚を持たねばなりません。
命の尊さがわかってくると、自然と調理も丁寧になり、野菜の切れ端を平気で捨てたり、無駄を出すようなこともなくなります。上等な食材だからといって特別張り切ったり、粗末な食材しかないからといって手抜きした りせず、たとえ不十分な食材でも最善を尽くして食材を生かせるようになります。

○整理整頓を心がけ、道具を大切にする

一宗の祖がこんな細かい点にまで言及していることに感動を覚えます。実際に調理をしてみればすぐにわかることなのですが、使いたい物がきちんと整頓されて定位置にないと良い調理はできません。単なる道徳論ではなく、実効を伴った教えです。使ったら使いっぱなしでは衛生的にも問題があります。食材だけでなく、道具にまで愛情を込めて丁寧に扱うことが修行の基本です。
この教えが身についてくると、自然と盛り付ける料理も美しく整ってきますし、自室も整頓され、立ち居振る舞いも優雅で洗練してきます。まずは整理整頓を心がけることからはじめましょう。

○食べる人の立場になって作る

相手の立場を思いやる気持ちは何ごとにも通じます。もう少し小さく切った方が食べやすいだろうなあ、今日は寒かったから体が暖まるように生姜風味のとろ み汁にしようか、ここのところ力仕事が続いているから少しご飯の量を増やし、塩気を強くした方が良いかなあ、など例を挙げればきりがありません。
寒い日には少しでも暖かい状態で食べてもらえるように盛りつけを直前まで待とうとかいわゆるマニュアルに無い心配りができるようになってきたら一人前です。
台所修行では、自己満足の料理に終わらないように留意しなくてはなりません。食べる人のこ とを第一に考えて、丁寧に作った料理は、必ず相手にそのまごころが伝わるものなのです。

○忘れてならない「三つの心」(三心)

喜心(きしん)」 作る喜び、もてなす喜び、そして仏道修行の喜びを忘れないこころ。
老心(ろうしん)」 相手の立場を想って懇切丁寧に作る老婆親切のこころ。
大心(だいしん)」 とらわれやかたよりを捨て、深く大きな態度で作るこころ。


○手間と工夫を惜しまない

これらを実際に行うには非常に多くの労力を要します。台所に良く立つ方ならわかると思いますが、料理というものは、下ごしらえから始まって最後の片付けまで非常に面倒な作業の連続です。手間をかけはじめたらきりがありません。逆に、割り切ってしまえば、それほど手をかけなくても実際には食べることができてしまうし、その上どんなに手をかけても、食べるはじめればあっと言う間になくなってしまいます。できることなら、なるべく手間を省いて楽をしたいと考えてもおかしくありません。

しかし楽な方ばかりに流れてしまい、それが常態化してしまったら仏道修行から遠ざかってしまいます。たとえ大変な苦労であっても、それを尊い修行として一つずつ丁寧に行じてこそ意味があるのです。

また嫌なことを我慢しながら仕方なくやっても良い修行になりません。目の前の作業に喜びを感じながら前向きに取り組むようにします。
道元禅師は、『典座教訓』の冒頭で、「もし道心無くばいたずらに辛苦を労して畢竟益無し」(やる気がない者が調理係になってもただ辛いだけで何も得るものがないだろう)と釘をさしています。

○食べる側のこころ


こうしてまごころを込めて丁寧に作られた尊い食事ですから、食べる側にも相応の心構えが求められます。道元禅師は宋の修行道場の食事様式を日本に持ち帰り、『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』を示されました。今も曹洞宗の寺ではその食事作法が綿密に実践継承されています。

その心を端的に示しているのが『赴粥飯法』に示されている「五観の偈」(ごかんのげ)です。唐の南山大師道宣が著した『四分律行事鈔』をその典拠としています。

一つには功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
(この食事ができるまでに携わった多くの方々の苦労や食材の尊さに感謝しよう)
二つには己が徳行(とくぎょう)の全欠と忖(はか)つて供に応ず。
(自分がこの食事を食べるにふさわしい行いをしたかどうか、反省しよう)
三つには心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
(むさぼり、いかり、ねたみの心を制し、正しい心と行いをもっていただこう)
四つには正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
(単に空腹を満たすためではなく、心身を養う薬としていただこう)
五つには成道(じょうどう)の為の故に今此の食(じき)を受く。
(仏の教えをなしとげるために、この食事をいただこう)

作るのも修行ならば、それを食べるのも尊い修行なのです。

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