『典座教訓』(てんざきょうくん)を実際に読めばわかるように、その内容は主に精神的・教義的な記述が中心となっています。食材や器物の扱い・献立を立てる際やお米をとぐ際の注意点など具体的な内容もありますが、調理のコツやレシピ分量などはほとんど触れられていません。
調理実務書ではないのですからそれは当然のことです。
『典座教訓』に記された尊い教えを柱としつつ、具体的な調理技術については、その時々の典座和尚の指導のもと、長年にわたって工夫研究され、口伝によって継承されています。

精進料理の特徴を概観すると以下のようになります。

○三徳

禅寺ではたとえ充分な食材や道具がなくても、三徳を満たすことを念頭において工夫して調理します。
「軽軟(きょうなん)」 見た目はかるく、味はやさしい
「浄潔(じょうけつ)」 清潔でさっぱりしている
「如法作(にょほうさ)」正しい作法によって作られる

○「五味五法五色」

「五味」とは五つの味で、〈辛、酸、甘、苦、塩〉のことです。

「五法」とは五つの調理法で、〈ナマ、煮る、焼く、揚げる、蒸す〉のことです。
「五色」とは五つのいろどりで、〈青、黄、赤、白、黒〉のことです。

これらを上手に組み合わせて、素材の持ち味を最大限に引き出すように調理を行います。
もともと「五味五法五食」というのは古代中国におこった自然哲学の思想である「五行思想」に由来します。その思想は日本にも大きな影響を与えたため、和食の調理法の基本を「五味五法五食」と称するようになったようです。
ここで念を押しておきますが、あたかも道元禅師が「五味五法五色」を初めて説いた、という誤った記述を目にしますが、『典座教訓』には「五味五法五色」という語句の直接の記述はありません。

なお、『典座教訓』には「六味」という語が示されています。これは、〈辛、酸、甘、苦、塩〉の五味に「淡味」を加えたもので、私はこの「淡味」こそ精進料理の極意であると考えています。
「淡味」の定義は人によってさまざまですが、私は「素材の持ち味を生かした味」であると解釈しております。
ちなみに、「三徳」や「六味」を道元禅師がはじめて説いたかのように書かれた記述も良く目にしますが、それもまた誤りで、道元禅師はすでに十二世紀に中国で編纂された『禅苑清規』(ぜんねんしんぎ)の記述を『典座教訓』に引用しています。
その出典や由来はさておき、五味(六味)五法五色を効果的に組み合わせることは、結果的に食べる側が飽きず、栄養的にも視覚的にも良い調理を生むのです。

○手作りにこだわる

道元禅師は、典座自らが手を下すことが重要である、と重ねて説かれました。とかく「責任者」となると部下に任せて実務から遠ざかってしまう愚を誡めたのです。
責任者自らが現場を統監し、実際に手をかけて調理することが大事です。料理長である典座が率先して面倒な調理に取り組む姿が修行僧の見本となるのです。
禅寺ではできる限り出来合いの品を使わず、手作りを基本としています。沢庵漬、梅干し、ごま豆腐など、どれも手間のかかるものばかりですが、手間をかけて自分で作る過程が修行となります。たとえ仕上がりが市販品に届かなくても、そこには作った人の気持ちがこもります。

私が参学した師も「精進料理は手間をもてなす料理です」と口癖のように言っておられました。
頂く側も、そうした作った側の手作りの苦労を感じ取れるようになりたいものです。

○素材の旬を大切にする

禅では美しい自然がそのまま仏法を現していると説き、四季の移り変わりや花鳥風月を尊びます。したがって、献立の中に自然をそのまま盛り込むような、季節感あふれる献立を旨とします。いくら高級品だからといって、春の桜の時期に松茸を出すようなことはしません。

そのため、精進料理では季節に出回る食材をうまく使って調理します。旬を迎えた食材は、香りや風味が濃くなり、安定して手頃な値段で入手でき、栄養も豊富なので、自然と味わい豊かな料理が出来上がるのです。

ただし、いくら旬でも、無理をしてまでこだわるわけではありません。「手元にあるものでおいしく作る」という自然なスタイルが基本です。特に、寺ではいただきものやお供えものの食材が多く、無理せず、今手元にある食材をうまく使うことが基本です。

最近では品種改良や栽培法の研究がすすみ、基本的な食材は年間を通して容易に手に入るようになりました。むしろ旬の時期にだけとれる「地の物」食材はかえって高級品であることすらあります。
レシピブックに書いてある食材が揃わなかったら、無理をせず臨機応変に工夫する柔軟さが大事です。

無理なく、自然な形で食材を用意し、できる範囲で旬を大切にしましょう。

○見かけの派手さを追い求めない

観光地や仏事の会食で精進料理を頂いたら、確かに見栄えは良かったけれど、飾りばかりで実際に食べることができるのはほんの少しだけだった、という話を聞きます。
商業的な料理ではどうしても見栄えが優先されるため、
そうした印象を持つ例もあり得るでしょう。
もちろん美しく見せるための飾り付けや、季節感を感じさせる添え物などを用いて彩りを工夫することは大切です。

しかしあくまでもそれらは補助的なものであり、本質を見失ってはいけません。
禅寺の精進料理では過度の装飾をせず、一見地味と思えるような盛りつけを基本とします。しかし、枯淡な日本庭園や建築に深い趣を感じるがごとく、料理から自然ににじみ出る魅力を大切にするのです。

むしろ、不必要な飾り付けは素朴な良さを打ち消してしまう恐れもあります。
本質を追究することを重んじるため、曹洞宗では、うなぎやチクワなどを模したいわゆる「もどき料理」はふだんの修行僧の食事ではほとんど作ることはありません。

○永平寺精進料理の分類

永平寺で作られる精進料理は、その目的の上から以下のように分類することができます。

◎仏様にお供えする料理 仏菩薩等にお供えするための料理。

◎来客向けの料理
・展待食 他寺の高僧や来賓をもてなすための客膳料理。
・研修食 参籠(お泊まりの参拝者)や参禅研修の方、公用来訪者等にお出しする料理。  


◎修行僧向けの料理
・特別食 正月や節句などの季節行事、

または特別法要に関わる料理。
 ・通常食 雲水たちが毎日食べている食事。
 ・供養食 施主が僧たちに食事を布施した場合の食事。
 ・携帯食 托鉢や山作務などに持っていく弁当など。

来客用の展侍精進料理

修行僧が毎日食べている通常食について少しくわしく紹介します。

朝食(小食 しょうじき)  お粥・ごま塩・漬物
昼飯(中食 ちゅうじき)  麦飯・味噌汁・漬物・おかず一品
夕飯(薬石 やくせき)  麦飯・味噌汁・漬物・ おかず二品

おかずの数や飯・汁の内容などは日によって多少変わることもありますが、総じて非常に質素でつつましやかな献立です。
宿泊客などに出される展待料理は、特に見栄えにも留意され、もてなしの心を前面に出した献立ですが、雲水が食べている通常食は枯淡を旨としています。
もちろん、お肉や魚等の動物性タンパク質は一切含まれません。
この修行僧向けの料理は、あまり一般向けに公開される機会がなく、世間には知られていません。しかし私達は、特にこの修行僧向けの枯淡な精進料理にこそ、今の時代に学ぶべき点が多くあるように思うのです。

 

○修行僧の料理と健康

ある専門家が、雲水の食事の栄養価を調査した資料がわたしの手元にあります。一般的な運動を行う二十歳男性に必要とされる栄養基準に対して、カロリー、 タンパク質、ビタミンB2は不足しているものの、カルシウム、ビタミンC,ビタミンA,鉄分、ビタミンB1に関しては、ほぼ必要量を満たしています。
また、その栄養価の割合を総合的にみると、炭水化物が七割、脂質が二割、タンパク質が一割ほどであって、コレステロールはほとんど含まれず、理想的な食事であるとされています。
実際に、成人男性に必要とされる充分なカロリーはないため、入門したての頃は、誰もが激しい空腹に悩まされます。しかしそれは入門前の食事が多すぎたた めで、三ヶ月も経つと体が慣れるのか、おなかもそれほど減らなくなります。栄養的にはほぼ理想的であるとの調査内容通り、むしろ体が軽くなり、便通も良く なり、臭いのしない排泄物が出、肌がきれいになってきます。そしてかえって料理の微妙なうまみ、野菜の持ち味がわかるようになるのです。

なお、毎日単調な献立ばかりでは飽きてしまいますので、お祝いの日や特別な法要、節目の日に食べるいわば「ハレ」の料理は、品数もわずかですが増え、赤飯やうどんなど普段とは異なる料理も振る舞われ、皆が心身ともに充実して修行に専念できるよう、食事内容が工夫されています。

← 精進料理の心2

精進料理の心4 →

 



戻る地蔵

 

Translate »